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手心工房(しゅうらこうぼう)


山陰地方のとある町で絣を織っているmotokoと申します。
少し私のお仕事のことなど綴ってみることができれば楽しいかも・・・と、このサイトを始めてみました。

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(July 25, 2005)


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藍の小話

Jan 29, 2006 by motoko
藍の色はジャパン・ブルーと言われています。
昔。江戸時代の日本では藍で染めたもので溢れていらしいです。明治8年に日本を訪れたイギリスの科学者アトキンソンという人が、日本中が青色の衣服であふれいることにビックリしたらしく、藍染めが日本人の暮らしのなかに深く根づいている事に感動してこの青の事をジャパン・ブルーと名付けたようです。イギリスの文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、日本は「青のあふれる国」とその印象を書いているようです。
日本人が藍染めを身につけるようになったのは、江戸時代のはじめ頃。木綿の着物を着るようになった事がきっかけのようです。
江戸時代には「藍・綿・麻」の3つを三草とよんで、生活にかかせない植物だったようです。
藍で染める事で生地が強くなり、虫除けにもなったようです。蚊帳も昔は藍で染められていたのはそんな理由もあったのかもしれないですね。アメリカではガラガラ蛇が嫌うのでジーンズに使われたとか。
先生が染めている染めは、建て染めといって、「すくも」を使って染めます。
簡単に染められるのは生葉染めという染め方です。
「すくも」とはアイの葉を乾かしてつぶして発酵させて固めてつくったものです。「すくも」をまるめて乾燥させたものが、「アイ玉」といいます。生の葉は長期保存できないけれど、「アイ玉」なら長期保存もできます。
発酵させたアイの葉は生葉よりも染まる色がきれいで染めの回数によって濃淡のバリエーションもいろいろです。
アイ染めをしてくれる染め物屋さんを「紺屋」こうや。といいます。
江戸時代から明治時代の頃はどこの町や村にも一軒はあったほどでした。
19世紀の終わり頃、合成藍(インジゴピュア)が発明され、大量生産されるようになり、天然藍の栽培も紺屋もなくなっていきました。
美しい青に染めるには熟練が必要ですし、水や温度、日光など自然や季節におおきく影響されるようです。紺屋さんはうまく染まるように染め場に藍神様を祭っています。
藍神様は愛染明王だったかと思います。
先生も和紙を振り袖の形を型どり、毎年藍に染めて神棚に飾ります。昔、染め場には女性は入ってはいけない場だったようです。藍神様がヤキモチをやくからだそうです。
理由はあるみたいですけどね。藍はアルカリで女性の体は酸性だからあまりよろしくないとか。

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